伊達政宗による仙台開府が始まると同時に、本町二丁目の歴史もスタートしました。城下町は、仙台城から東進する幹線と江戸と奥州を結ぶ奥州街道を中心に、碁盤の目状に町割りされました。開府当初の城下は、南は広瀬川、北は北山から北四番町、勾当台通りと続き、元寺小路が北東の端となっていました。現在の仙台市とくらべると遥かに小規模なものでした。
現在の本町二丁目は元寺小路とも呼ばれ、開府当時から城下町構成の原則通り、町を守る防衛線として寺院が配置されました。現在の勾当台公園付近には「定禅寺」があり、その東南隣に観喜院(大聖寺)、さらに千手院、亀岡八幡、木食、観音堂(満願寺)、光円寺、密乗院などの寺院が立ち並んでいました。寛永年間(1624〜1644)に寺院の一部が、天和元年(1681)に亀岡八幡が移されると、百石前後の侍屋敷と寺町に割られ、「元寺小路」と呼ばれるようになりました。幕末の頃には、職人町や門前町、そして武士の屋敷などで構成される町に変わり、明治維新後は商人の町へと姿を変えていったのです。当時から定禅寺通りの北側は高台になっていて、元寺小路に向かってゆるやかに下る勾配に沿って、東三番丁を下るきれいな水が流れる堀がありました。 |
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